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齋藤先生の間違い2009-01-09 Fri 13:32
必ずといっていいほど挙がる線型代数の良書に、斉藤○彦先生の本があります。
非常に分かりやすく、受験勉強の時にも役に立ったのですが、斉藤先生の文庫本著書に私にとっては非常に奇怪な文章がありました。 「数学は全ての説明において応用できるとは限らない」 私は過言ではなく、数学は全ての(本当に真の意味で全ての)事象で応用できると思っていましたし、今もそう思っています。ですから、この文章を発見したときには畏怖の念を抱きました。 齋藤先生による、数学が応用できない証明を見てみましょう。 高校生の時に私達は対偶という概念を習います。対偶とは以下のことです。 「A⇒B」であれば「Bでない⇒Aでない」、そして且つ、「Bでない⇒Aでない」であれば「A⇒B」である。 (証明) A⇒Bであるとする。もしここでBでなくAであるとすると、A⇒Bであることから、Bでなく且つBであることになり矛盾するのでAでない。 Bでない⇒Aでないとする。もしここでAでありBでないとすると、Bでない⇒Aでないことから、Aでなく且つAであることになり矛盾する、よってBである。 例えばAに「私は斉藤である」、Bに「私は人間である」という文章をいれてみましょう。 すると、「私は斉藤である」ならば「私は人間である」ことは、斉藤さんが人間であることから成り立ちます。よって「A⇒B」であることが証明されます。この時確かに、「私が人間でない」⇒「私は斉藤でない」ことは成り立ちますから、対偶の前半は成立することがわかります。 同様に対偶の後半も成り立ちます。 このように、対偶とは全てのことに成り立つもののように思えますが、齋藤先生に言わせると、対偶が成立しない例があるというのです。それは以下の通りです。 ある親子を考えて見ましょう。子供は勉強をしないのでお母さんが子供に怒っています。そこで子供はお母さんに聞きました。 「なんでお母さんは怒るの?」 お母さんは言いました。 「私が怒らないとあなたは勉強しないからよ!」 斉藤先生はこの文章を、Aに当たるところを「私が怒らない」、Bに当たるところを「あなたは勉強しない」と捉えました。そこで対偶を用いると、Bでない⇒Aでない、つまり、 「あなたが勉強する」⇒「私は怒る」となるから対偶が成り立たない場合もあるから数学は完璧でないとの立場でしたが、私はそうは思いません。というのも、この論理には欠陥があるからです。 それは時制の問題だと思います。「私が怒らない」ほうが時制が先で、「あなたが勉強しない」のほうが時制は後になります。しかし、斉藤先生の対偶によると、時制が逆転しています。対偶は事実の肯定否定を逆にするだけですから、時制は逆にはなりません。ですから、時制を逆転させている斉藤先生の論理が間違っているのです。さて、時制を逆にしない、つまり正しい対偶をとるとどうなるのかというと、 「あなたが勉強する」⇒「私はその前に怒った」ということになり、美しく事実を反転していません。 斉藤先生の例のように、一見完璧でないように思える対偶という数学の概念も、詳しく分析してみれば実は正しいのです。なんてことのない斉藤先生のミスで、やはり数学は偉大です。事象全ての説明は数学を使って証明できるに違いありません。 |
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