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bill evans2009-03-25 Wed 00:03
http://www.youtube.com/watch?v=dH3GSrCmzC8
何が良いって、オフビートが心地よい。 次にあの音符をこのくらいのスピードでこんな感じ奏でてもらいたいっつう、希望の通りに弾いてくれるから心地よい。この心地よさは個人的なものでなくて、全人類に共通する何か感情帯みたいなものにクリティカルヒットしたときに感じる心地よさに違いなくて、そこに当ててくれるエヴァンスに感謝したい。 |
アランシェパード2009-03-16 Mon 13:23
ディスカバリー号って機体は古くないか?と心配していましたが、無事宇宙に到達しました。素敵です、安心しました。
時代は遡って冷戦。 1957年、ソビエト連邦による人類史上初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。 仮想敵国の先制攻撃を受けるも、追いつけ追い越せ引っこ抜け、ケネディ率いるアメリカは前身NACA改めNASAを設立。膨大な資本を投下し、次こそはと初の有人宇宙飛行成功に賭ける。 ところが1961年4月、名言「地球は青かった」と共にまたしてもソ連に大敗。 完全に遅れをとったアメリカは、アメリカ人初の宇宙飛行士として米海軍アランシェパードを指名し、マーキュリー計画の下、有人宇宙飛行に満を持して挑む。 失敗は許されない発射直前、神による敗北の啓示かの如く、マーキュリーの機体の一部に異常が見つかってしまう。 計画続行を躊躇する管制官を排し、元来危険を顧みない性格の暴れん坊アランシェパードは痺れを切らしてこう叫んだ。 キャンドルに火をつけろ!!! かっこいいにも程がある。 好まないはずであった名言を好んでしまったこの矛盾。 この矛盾解明こそが私の人生の究極目標であります。 |
ルート2009-03-02 Mon 14:51
長さが1の紐(完璧で観念的な)があるとします。
その紐の長さは明らかに1で、その半分の長さは0.5になります。 ではその1/3の長さは? とその前に、長さ1の紐を1/3に切断できるのだろうか?一つ思いつくやり方としては以下のような切断方法。(もっと簡単な方法がありそうな気がするけど。。。) ![]() つまり、長さ1の紐は確実に1/3に切断可能であって、1/3という長さが"静止して"存在します。 しかし、その長さはいくつですかと聞くと、0.3333333........ と無限に続く、すなわち私達の感覚では"動いて"いるからおかしいではないか! また、他の例としては、ルート2という長さは正方形の対角線の長さで"静止して"いるのに、 ルート2=1.414........と"動いて"いるからおかしいではないか! という、正直で、根本的で、一般に共感を呼ぶのに誰も質問しなくて、重要なのに誰も重要だと気付いていなくて、非常に優れている質問をあの彼がしてくれました。 「社会で役に立たないものは一切排除!」的精神に取り付かれている全世界の人間が、こういう宇宙の根本原則の問いに匹敵するレベルの質問をする人間に取って代わってくれればなんと素敵な世界が創造されることだろうと思っていることをここに告白いたします。 確かに彼の質問は私たちの直感に正直な質問です。 この答えはこんな感じでどうでしょうか。 まず、その1/3とルート2という長さの紐は確実に存在します。それは目で見て明らかで、私達がどんなに愛情を持ってまた感情をもってして見ても、その長さの紐は無愛想だけど確かに存在します。しかもそれは動的なものではなく、完璧に"静止して"存在します。 じゃあなんで、1/3は0.3333...で無限に続いているのか?有限の長さが有限の値、たとえば0.33.....3!のように止まっていないのか? まずはじめに、簡単な例として、人が100人いるとしましょう。その人それぞれに番号をつけるとしましょう。あの人には1という番号を、あの子には2という番号を、少し気になるあの子には3という番号を....というふうに続けていけば100人全員に番号をつけることができて、最後の人は100番です。 では逆に、なんでこの100人に番号をつけることができたのか? それは、人の集合(100人)と1から100までの番号の集合の個数(数学では濃度という)が同じだからです。番号をつけられるのはまさにそれぞれの個数が等しいからに他なりません。 次に本番に入ります。 長さ1の紐の切断方法って無限にありますよね。ですから、上の例でいう100人という集合の個数は100でしたが、切断されうる紐の長さは無限個なんです。上の例で100人の人の集合は100という有限個の集合で、今回の切断されうる紐の長さの個数は無限個であることを注意しておきます。 次に、対する数の集合については、上の例は1から100までで100個の有限個だけど、0から1の間で、有限個の表記で終わる数の集合(0.11とか、 0.33....3とか、0.25367...7とか、どんなに長くてもいいから、ずっと続いているのではなくて、"いつかは必ず終わっている数"を全て集めた集合)の個数も無限個です。 もし、この二つの集合の"無限"が同じ個数であれば、個数が同じなのだから対応がつけられる、すなわち、切断されうる紐の長さは有限の数で表せて、私達の直感に合うのですが、実は、 無限にも大小がある ことが分かっていて、切断されうる紐の長さの集合の個数の方が、有限個の数の表記で終わる数の集合の個数よりも大きいのです。だから全ての長さを、有限個の数で表記することはできないということになる、すなわち、1/3やルート2のように、有限個の数で表記できないものがあって、確かに存在するその奇妙な数を我々が発見してしまった!ということになるのですが.... ちょっとわかりにくいでしょうか。 涙 まとめて、分かりやすく簡単に言うと、 有限個の数の表記で全ての長さを表現しようと思っても、長さ1の紐が切断されうる紐の長さの個数(0から1までの数の個数)があまりにもあまりにもあまりにも大きすぎるので、無限個の数を使わないと表記できない長さがある!ということです。 数学的に言うと、 f:\{x\in R| \exit m \in N(x=x_[1]x_[2]...x_[m] \wedge \forall i x_[i]\in\{0,1,2,...9\}) \} \to R bijectionは存在しない ということです。 だから、みやちゃんのいう、「測れない」の意味が、有限個の数で表記できないという意味であればその通りです!!!! どうでしょうか... |
格言とか名言2009-02-24 Tue 02:10
youtubeで野原ひろしの名言集というのがありましたので見てみました。
もちろん私には期待がありました。アニメの中で使われる言葉というのは何かと評価が高いものが多く、特に野原ひろしという一般的にふざけたキャラとして知られる彼の名言となれば相当なものであろうと。 しかし、彼の名言がどうのこうのというよりもまず、私は格言名言と呼ばれるものはどうしても受け入れることが出来ませんでした。というのも、意味は全く同じつもりで使っているのに、ある表現ではセンスなしと揶揄され、しかしある表現では格言という称号の印を押される。 意味は全く同じなのに。 自分が思ってるまさにその思いを確実に(100パーセント完璧に同じという究極的な正確さで)伝えることはテレパシー以外にしかないから、けれどテレパシーで伝える能力は私達庶民には備わっていないから、言葉という不完全な媒体にのせて伝えるのです。 媒体の違いである時は良しである時は悪し。 意味は全く同じなのに。 本質的でもっとメタな"意味"を判断すべきところを、媒体という装飾に過ぎないものを美しいと判断するそのセンスはいかがなものでしょうか。食べ物で言えば見た目よりも味が重要であること、方法よりも方法論が重要であることと同じように、言葉の表現よりもその本質部分の意味の方が重要なのではないでしょうか。ですから、私は座右の銘や好きな格言名言とかを持たないようにしていますが、そこを敢えて無理に作るなら私の座右の銘は、座右の銘を持たぬこと。これらを持った時点で形、見栄え、聞こえを重視する中身の薄い人間になってしまうような気がして怖いのです。 かといって、その本質的な部分である意味とか、味とか、中身とかのみを判断することはとても難しいことだと思います。というのも、その中身を判断するのは外見から判断して、意味を判断するのは言葉から判断するように、装飾から本質を判断しなければいけないという真実によるからです。 少し前に「人は見た目が9割」とかいう本が出て大ヒットしました。私は読んでいませんが、おそらくこの、外見から中身を判断しなければならないことを証明して書かれた本であるのでしょうか、よく分かりませんが。 |
「資本論」’’2009-01-12 Mon 22:41
私はmixiにて批判、いや非難に近いものをされました。
私は、"あるもの(複数)から抽象する"とは、それらあるもの全てに共通な性質があることが前提で、それらから共通な性質を取り出す。そして、取り出されたそれら共通な性質を全て持ち、また、それら性質以外の何物も持たないものを想像することだと思っています。 この理解から、マルクスの「商品の交換関係をはっきりと特徴つけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象である」 という文章から、使用価値から抽象できることが前提となっているから、私の"抽象"の定義から使用価値には共通なものがあって、マルクスの「使用価値はそれとしては異なる質のもであって」という文章に矛盾するのではないかとmixiにて質問しました。もちろん私はマルクスを批判するつもりなどなく、というかマルクスの資本論を絶対的に正しい真理であることと前提して(というかどんな学問をするにしても、それが本当に正しいのか正しくないのかは関係なく、それが正しいと信じ込んで進めなければ進むはずがありません。)質問したのですが、私は単なる左派であり、マルクスにいちゃもんをつけたいだけなのではないかと言われました。なぜそうなるのでしょう?あるところ理解できないということは、そのあることが正しいと仮定すると、それ以前に出てきたある文章に矛盾するから理解できない場合か、その文章自体から意味を取れない、つまり読めない場合かの2つに分けることができます。私は今回の質問は前者の部類で質問をしただけです。と少し不快な気持ちになりましたが、文章とはいくらでも解釈可能な不完全なものですから、仕方無いこととして気持ちを落ち着けることにしました。 とりあえず、私は左ではありません。むしろマルクスに対する姿勢は極端な右です。 |






